復活クラファン始動🔥
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— SUNSOFT (@sunsoftgames) June 23, 2023
◆消えてはいなくても瀕死状態
「まだ生きてたの?」と言われるほど、サンソフトは長年、静かに、細々と、開発を続けておりました。
消えてはいなくても瀕死状態…。
もしかしたらこのまま消えても、誰にも気づかれないんじゃないか…
サンソフトはそんな状態から復活を目指すことになります。
ではなぜサンソフトは、そんな瀕死状態に陥っていたのか。
そしてどうして”今”復活宣言ができたのか。
それには理由と、そこに至るまでの長い道のりがございました。
◆サンソフト空白の歴史
皆様の記憶に残っているサンソフトは、いつ頃のサンソフトでしょうか?
おそらく40年ほど前のサンソフトではないでしょうか?
今年はちょうど、ファミコン生誕40周年にあたるミレニアムな年。
ファミコンからスーパーファミコンぐらいをサンソフトの黄金期とすると、それ以降から令和に至るまでがサンソフト空白の歴史……と言えるのではないでしょうか。
空白の歴史の間、サンソフトは昔のように自由に、ゲームを作ることができなくなっておりました。そこには数々の大人の事情がございました。
ゲームが作れないことに失望する社員が続出……。
実力のある者は他社へ行き、ゲームへの情熱をなくした者は別の職へ就き、残された者は「あとはまかせた」と去っていく彼らを送り出す日々が続きました。
◆赤字続きのお荷物チーム
会社スローガンは「夢・挑戦・創造」。
優しい方は「サンソフトには上海麻雀パズルがあるじゃないか」と言ってくれるけれど……
会社全体が「新しいもの、ニッチな分野でビッグを目指そう」という流れだったため、歴史や実績のあるタイトルに頼ることがなんだか「いけないこと」というような風潮が高まります。
そして私たちは、新しいゲームの企画に何度も何度も挑戦します。美少女萌えゲー、BL、VR…その他にもまだまだたくさん挑戦しました。
挑戦して、挑戦して、撃沈して…。それでもまた挑戦して、撃沈してのくり返し…。
気づけばサンソフトは、赤字続きのお荷物チームになっていました。
会社の経営状態が良かった頃はまだなんとかしのげたものの、次第に厳しくなっていき、苦渋の決断を迫られていました。。。それが、ほんの3、4年前のお話です。
まさかの起死回生は「モノ言う株主」
◆経営陣の交代
このような状態でもサンソフトに興味をもってくれた数社とミーティングを重ねていたある日のこと、母体である「サン電子」に衝撃が走りました。海外のアクティビスト、いわゆる「モノ言う株主」から、経営陣の交代を提案されたのです。
当時の経営陣は戦闘態勢となり、激しい攻防を繰り広げました。
しかし、しかし、、、臨時株主総会で経営陣の交代が可決。解任劇の始まりです。
※このあたりのゴタゴタについては、サン電子のIR情報を見ていただくとより詳細がわかると思います。ご興味のある方はぜひご覧ください!(上場会社なので透明性はお墨付きです)
この出来事は私たちにとって、今まで信じていたものがひっくり返る瞬間でした。
今まで見ていた数字や自分たちの存在意義、その他あらゆる価値観の見直しを要求されることになったのです。
◆サンソフトの財産
お荷物状態であった自分たちの存在意義…価値…。
そんな途方もない不安と課題におそわれる日々が始まりました。
課せられる高いハードル、超えられない壁…私達は迷走を続けていきます。
そんなある日、私は新しく役員となった海外の方々と話す機会をいただきました。
そして、その時彼らに言われたことを、私は今でも忘れることができません。
「君たちは何故、過去の財産に目をむけないのか(英語)」
青天の霹靂でした。
今まで自分たちの存在すら否定され、お荷物扱いが常だったサンソフトに財産があるだなんて。。。
目を背け、いつの間にか価値のないものと思い込み、存在すら忘れていたサンソフトの資料棚…
社員から忘れ去られてしまっても、その中には今も昔も変わらずずっと「サンソフト」が詰まっていたのです。彼らはそれを「サンソフトの財産」だと、そう思い出させてくれたのです。
調べたらPS1で発売されたサンソフトのタイトル集やPS2で発売されたネオジオタイトルのコレクションで移植目標の3タイトルやサンソフトの格闘ゲームは移植されていたようです。
PSカタログで出せたら少しはいまのサンソフトも潤うのでは。
ゲームが作れない苦悩はSIEJのスタッフも理解できるだろうし。
ゲームが作れない苦悩って、どういう立場で言ってるの?
SIEJは本当はゲームが作りたいってこと?
何かソースでもあるの?