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広井王子
・天外ZEROの後に美少女ゲームを作ろうとしたらハドソンに「美少女物はダメ」と言われた
・悶々としていたらセガの入交さんに会いたいといわれた。美少女ものをやりたいというと「じゃあそれでいこう」と。
・50万本売れたら舞台化の約束をした。50万本を達成し入交さんは約束を守ってくれた。
・舞台一回目は「声優を表に出すな」「声優が舞台で何ができるんだ」とずいぶん言われた(言ったは入交さんではなさそう)
鳥山求
・FF13開発時はそのハードで何ができるからこれを企画しようということはなくそこは考えずにやっていた
・開発中にオブリビオンやRDRとかすごいものをみるとオープンワールドが作りたくなるがいまさら企画は変えれなかった(笑)
・脅威ではあったが我々は我々の道を行く!と開発を進めた
・社内エンジンの開発が難航して一時はプロジェクトの縮小も。
・XIII-2のころはトライエースと一緒に作っていた
・FFXIIIが成功したのはオリジナリティーにこだわった部分とキャラの魅力のおかげ
・いまのPS4であきらめないといけない表現が次のハードでできるようになれば新しいタイプのゲームは生まれる可能性が。
声優イベントの先駆けのようなものだったサクラ大戦。
広井王子さんの残した功績は大きい・・・。
もしハドソンが美少女ものにGOサインを出していたらサクラ大戦はPS1だったかも?
PCFXは平成じゃないんだっけ?・・・平成初期のころの事情はよくわかりません。
当時ハドソンが注力していたハードはどのハードだったんだろう。
スクエニのクリスタルとかルミナスとかのエンジンは今なにしてるのかな。
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ハドソンは、PC-FXを見限った後はとりあえずサターン注力だったと思いますよ
第四の黙示録とかVIRUSとかバルクスラッシュとか後はPCエンジン系からの移植とかを抱えて、大々的にセガサターンマガジンでハドソン特集が組まれたのを覚えています
第四の黙示録は当時はそれなりに大ニュースでした・・・